あるところに書き込んだものに手を加えました。括弧書きは今回書き加えたものです。

□ 穂高
ある山旅
だいぶ昔の話しではあるが,著名な岳(穂高です)に登った。

10月の下旬頃のことで,夏は人の背中を見て登るようなところであるが,この時期は人と出会うこともあまりない。

カール(岳沢のカール)の中ほどの客もいない小屋(旧岳沢小屋)に一泊して,翌日は遅く起きて,だたなんともなく登り始めた。下方の著名な観光地_昔は神が住むといわれた_(上高地)から正面に見えるカールを登っていく径であるが,革靴がやけに重い。
天気が良すぎて,空が暗くみえるという日だったが,誰もいない径をひとり登り始めた。かなりな斜面を登っていく途中で腹具合が怪しくなり,大雉射ち_その意は重大事に及んでいる姿勢の類似性からきている。_に及んだが,なにせ急斜面であり,たぶん観光地から望遠鏡ででもみられれば隠しようもないところだった。が,終了後,宿主をはなれた物体は,重力が摩擦力に打ち勝ってころころ崖を落ちてゆき,他方,吹きあがってきた風に紙は蒼穹目指して駆け上がっていった(既に笑い話です)。

その一週間前に最終合格(司法試験)の発表を見たばかりの著しく体力を消耗している時分で,感覚も,知覚も鈍く旧式のキスリングの脇ポケットを岩角に引っ掛けて危うく滑落しかかって情けなくも腰を抜かしかかったところもあり,また,稜線に出れば岩ばかりのピークとピークの踏み跡を誤って,浮き石だらけの崖を無理矢理下るはめになった。そこは全体が岩や石だけが積み重なってできたピークで,一歩踏む毎に足元からはるか内部までカタンカタンと岩と岩のぶつかる音が伝わっていき,これにはまったく肝を冷やした。

なんとか頂き(前穂高)に辿き,はるか向こうに槍の穂先を望んだが,かってそこを登った時のような高揚感がまったくない。空は青く澄み渡るが,暗く感ずるばかりで,なんともやり切れない喪失感ばかりが湧いてきてどうしょうもない。
なんのために登ったのか,当初の嗤ふべきロマンチックな目的を失い,哀れむべき自己憐憫か自己を空しくするために登ることだけが目的となりはてていた己に登頂の喜びなどあるはずもない。空しさばかりが風に吹き流されていくばかりだった。

さすがに頂上直下の小屋(穂高山荘)付近には登山客が数名がいたが,ここでもまた埃くさいカールへコースを間違えて危うく岩登りをするところだった。
ある小説で有名な岩崖(滝谷)を覗く気も起こらないまま,そのままカール(涸沢のカール)を下り始める。Z状になった急下りも体力のない状態では苦しい。ときどき見上げると岩屑だらけの頂に下弦の月がかかかっているのが,こちらの気分を映しているようでしばらく見とれていた。

下りきった辺りで日も暮れかかり,カール底の小屋(旧涸沢小屋)にでも泊まろうかとも思ったが,違和感を覚えた楽しげな人声もあって,そのまま先をいくことにした。途中,そろそろ暗くなってきたので明かりを灯そうとヘッドライトを点ければ薄暗く,電池切れのようだ。疲れている時に山行きの用意をするとこうなるという見本のようだ。遂に,まったくランプの光が見えなくなってしまった。オイルライターを灯しても風が少しあって光源の用をなさない。そのうち川にでたが,渡り口が分からない。こんなところで不時露営というのは恥ずかしいと流石に少しあせりがくる。ようやく木橋を見つけて渡り,森の中の小道を木々の間からもれてくる月明かりを頼りにこけつまろびつ夜半に横尾の小屋にたどりついた。朝から歩行は15時間ばかりに及び,小屋番からは厳しく叱責された。

翌朝は,猛烈に痛む右足をひきずり,悄然と観光地(上高地)に向かう。
高い頂きを目指す山旅は,私の中では遂に終わったようだった。

合格発表を見たときから既に司法試験に受かった喜びなぞは微塵もありませんでした。やけくそになって発表の週末に登山をしたのですが酷いものだった。