Bachのことなど (序章)

度外れてロマンチックで自意識過剰な高校生の頃,私は,Bach を子守歌にして寝るのが常だった。
それで,毎朝,「しまった。また,お皿を回しぱなしだ,針が。」とやっていたものだ。LPレコードの頃である。

Bachのどこに惹かれるのか,今も自分の中では説明がつかない。
それが嵩じて拙いアレンジの腕で Bach の鍵盤曲を guiter の二重奏に編曲などもしたが,良く分からない。
訳の分からないもどかしさに腹を立て,大学生の頃には和声の勉強を通信教育(笑)でやり始めて,更に,対位法を勉強しようと全音から出版されていたR・シュテール著の「対位法」を購入した。その頃,対位法の書籍を音大にいない学生が手に入れようとするとこれくらいしかなかったが,我が蔵書には11頁まで書込があるからそれくらいは読んだんだろう。全然覚えていないが(笑)。今の若い音楽好きは恵まれているよね。対位法の本ではないが「憂鬱と官能を教えた学校」なんていう書が文庫で手に入るのだから。これをあちこちに置くために3セットも購ってしまった(笑)。
その頃はともかく,Bach もその当時の演奏スタイルや楽器が研究されて,今では演奏法も大分変わった。私もそれを見習ってChaconne in d minor※ などの奏法に取り入れたこともあったが,そんなことは実はどうでも良いのである。いくらバロック時代の奏法を身につけピリオド楽器を使っても Karl Richter の指揮や演奏に遠く及ばないものはいくらでもある。
※いうまでもなく,原曲 BWV1004 は vn の独奏曲である。
ちなみに,最近,クロアチアのノダメ(笑)が演奏するブゾーニ編曲の素敵なシャコンヌを発見した。

Bach には音楽のすべてがあるのか,なんてね。

その特徴をいちオタクが思うに,
・切迫感
  例えば,BWV232 の Kyrie eleison の出だしだけで鳥肌が立つ。
  また,Hertha Töpper の歌う Agnus Dei など,私の Bach の最良の像のひとつである。

 教会官僚たちは,Bach の曲を opera と言って忌避したものである。確かに,教徒がこんな曲を聴かされたらば(但し,ロ短調ミサ曲などは教会で演奏されるものではなかった。),つまらん説教などに注意を向けるものか(笑)。

・隠れたメロディ
 実は聞く耳を持っていれば隠れてなんぞいないのだが,教義よりも音楽に聞きってしまう聴衆を恐れた耳の悪い教会官僚たちに分からないようにする目的があったのか。

・ロマン派やその後を優に先取りした和声
 聞いてりゃ分かりますよ(笑)。

・優れたメロディ
 歌(声)の「メロディ」というだけの意味ではない。

・彼の後には,誰もまともに承継できなかった対位法という複雑な旋律の絡み

・Buchのアルペジオ -「優れた和声」に関連するが-
 このアルペジオには,何故か後世の音楽家をして旋律などを加えてみようとか,曲をいじってみたいという欲望に駆られてしまうところがあるようだ。
Well-Tempered Clavier Book1 No.1 Prelude and Fugue in C major BWV 846 の1番を編曲した例のあれとか,最近ではこういう編曲(BWV847.Preludeのアレンジ)もある。
Luo Niという綽名を名乗るドイツ人のアレンジを奏するこの女流(トルコ人?)の演奏はわずかにピッチをずらした調弦(チェンバロを模したつもりだろうが酷い音だ)も含めて奇妙に良い。つまらん演出と演技はともかく。
単純なアルペジオにメロディを乗せて行くだけのような,中盤になって堪えきれずにメロディ部分が踊り出てくるだけなんだが。背後からよく分からない切迫感と寂しさが追いかけてくるというか。多分,字の編曲者は相当な才能の持ち主だろう。

また,これも相当に美しい。
Alexander Siloti の編曲による
Prelude in B minor after Prelude in E minor BWV 855a
である。

更に,アルペジオではないが編曲の例を挙げれば,
Ich ruf zu dir Herr Jesu Christ BWV 639
は,いうまでもなく Wilhelm Kempff の名編曲によるものである。
Polina Osetinskaya, piano
 但し,録音の状態がよくない。
 ちなみにこのロシア人の pianist が最近のお気に入り。バロックと現代物をその強いタッチで明晰に弾いていく。ロシアという悪環境の中で消耗しなければ時代に名を残すだろう。
彼女の「現代物」では,
Valentin Silvestrov 作曲の
4 Pieces, Op. 2: I. Wiegenlied / Lullaby これなんかいいでしょう。
 
また,Bach ではないが,彼女の演奏する↓これなんか楽しい「合わせもの」でしょ。
 CHRONOS by Roberto Di Marino

 BWV 639 Arranger: Ferruccio Busoni
Brendel が弾くこのブゾーニのイメージの方が正統という感じだが。Bach の許容範囲は非常に広い。

 こちらの vn & piano のアレンジも秀抜。
なお,編曲者はロシア生まれのトルコ人の演奏家のようです。

・合奏する歓び
 音楽の楽しみには,聞く楽しみと演奏する楽しみがあり,それらはかなり違うものであることは演奏する側に回るとよく分かるのだが,Bachの曲は特にそれが著しいのです。特に,合わせもの<合奏>において顕著になります。
 但し,Bach の曲の合奏は難しい。Back 以外でも(指が回るかという難しさではなく)合奏するのに難しい曲というのはいくらでもあり,例えば,古楽の中には非常に難しいリズムのものがある。古楽は踊りの伴奏という曲も多く,そういう曲を単純なリズムばかりで書いていると踊り手に飽きられるので,リズムを難しくするのです。また,現代曲の中には変拍子でできている曲もあり,それらを合奏するのは非常に難しい。
 但し,Bach の合わせものが難しいのは,それらとは少し違っていて「落ちる」と這い上がれない難しさというのがそれである。鍵盤楽器と独奏楽器という単に二種の演奏を合せるだけでも落ちると続けるのは困難となります。
 それを繰り返しの練習で克服して,見事に合ったとき<正確には,現在進行形で合っているとき>の喜悦さというのが説明しづらいのですが半端ではない。
 Bach にはそれを演奏する者に与えてくれます。

と,こんなところでしょうか。

閑話
私の父は,私が中学生のころ,何をとち狂ったか大企業を脱サラして音楽教室と楽器商のようなことをやり始めた。私もそれに付き合わされて,家業のために guiter の教師もどきをさせられた。今思えば冷や汗ものであるが,結構,厳しい先生で,そのうち小学生の可愛い女の子が入塾してきたが guiter は教えようがない。指がまだ短すぎる。vn にあるような何分の1などいう楽器は guiter にはないので,彼女を後ろ向きに立たせて,guiter でまず C の音を出して,「これドの音だよ。よく覚えてね。次に別の音を出すから分かったらなんの音かを答えて。」とか,更に進んで,簡単な和音を弾いて「これなんの音からできているかい。」と質問するなどソルフェージュ(自分も満足にできやしないのに^^;)のさわりをやった覚えもあり,めちゃくちゃ厳しい教師ではあった。あの子,音楽嫌いになっていなければいいが。
そして,そのような家業を手伝っていると,当然,発表会と称するものにもかりだされることになる。そう,guiter の演奏から始まってピアノ運びもやらされたのである。そうして,音楽教室である以上,ピアノの教師も多数必要になるので,父は音大生を何人もアルバイトとして雇い入れていた。
当時の音大は,典型的な花嫁修業の場であったからアルバイターは皆,若い女性で,そのうちあるとてもきれいな女子大生に高校生がからかわれただけなのだが,「誰が作曲者として好きなの。」と彼女に聞かれて,バッハオタクは「(言うまでもなく)バッハです。」と答えたところ,彼女の反応は「へー,バッハのどこがいいの。」というものであったので,気の短いバッハオタクは,侮蔑的な眼差しを悟られまいとして下を向いてしまったことがある(^^;)。
しかも,その頃,我が心の内には,才能のある音楽家_打楽器であるピアノを歌わせることができるペダル使いの巧いピアノ弾きで,ハーモニカ吹きの名人_が住んでいた(^^)ので,なおさら呆れてしまったことがあった。
日本のピアノ教育は,当時,バイエル → チェルニー → etc という具合のとんでも教育がされていて,私も,中学生の頃,ピアノを習い始めてバイエルを終え,次は,チェルニーに取りかかったところで堪忍袋が切れてしまった。こんな音楽でもない曲の練習なんかもうできるかと(笑)。バッハやバルトークの曲などから始めれば多分,ピアノも弾けるもう少し増しな音楽おたくになったのではなかろうか。
そして,これ位は弾けるようになったかもしれない。

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なんだか,原曲ではなく,そのアレンジばかりから始めたのはどうかしているが,バッハオタクには,Bach のほとんどすべてが名曲になるのでここに原曲を挙げるのは躊躇する。それに Bach の曲に素人の音楽おたくのお勧めは不要でしょう。

Bach のことを書き始めるときりが見えないのでこの辺で止めておこうと言いながら表題が「序章」になっているし(笑)。

取り敢えず,私の非常に好きな曲と演奏だけを一部挙げておこう。
□ Messe h-moll BWV 232 (前出)1962年版
Karl Richter
これは親父様の葬儀にも使ったものだからその後長らく聞けなくなってしまった(苦笑)

□ Brandenburg Concerto No. 6 in B-Flat Major, BWV 1051
Karl Richter,Munich Bach Orchestra
この低音弦楽器の重なり具合がなんともよい。よく見れば,vn がおらず,4度で調弦する6弦のビオラダガンバが加わっていることにお気づきですか。
Richter も必要ならばピリオド楽器を使ったのですね。但し,リヒターが演奏していた頃ですからガンバは,よく見ると「もどき」の楽器で,かつ,演奏法もガンバの正統なものではありませんが,音楽の中身がいいから許されるのです(笑)。ピリオド楽器としてガンバの構造と演奏法はこちらを参照してください。
但し,youtube の up 最低です。
なお,最近の演奏ははやりなのかやたら早く弾くのはこの曲の趣きを損なうと思うのは私だけでしょうか。

□ French Suite
Huguette Dreyfus
若い頃の Dreyfus のハープシコード(LP版)の演奏には言いようのない憧れを抱いたものである。
但し,中年以降のお歳を召した彼女からは,そのなんとも言えない輝きが(;_;)。
時間よ戻れ!

鍵盤楽器の曲
Glenn Gould の演奏しているものならなんでもお勧めであるが,
私が高校生時代からぞっこんだった曲がこれ↓。
□ Toccata in E minor BWV 914
こちらの演奏の方が録音はよいが。

Philipp Spitta は,このトッカータは,「バッハのみが書き得たような,哀愁と深い憧れに包まれた曲であり,その終曲の真価は,あらゆる種類の悲しみを自ら体験した人にして始めて理解される」(ガイリンガー著「バッハその生涯と音楽」からの孫引きです^^;)と書いていますが,高校生でもぞっこんになりましたから「あらゆる種類の悲しみを自ら体験した人にして始めて理解される」とまでは思いませんが,Bach の鍵盤曲の最高峰に位置する曲だとは思います。
youtube の録音状態は酷く,可能であれば,LPレコードでグールドのこの演奏を聞いてくだされ(>_<)。

教会カンタータ
□ Gottes Zeit ist die allerbeste Zeit BWV106
Münchener Bach-Orchester, Karl Richterの演奏はこちら。
序のブロックフルーテ群の響きがなんともいいでしょう。Bachのカンタータの中で一番好きなものですね。
ブロックフルーテは,音量が小さく,二オクターブ程度の音域しか出ないこと,構造的にトリルに正しい音程が出せない場合があるなどのために,バロック以降衰退してしまいました。
もっと音程の酷い楽器であった横笛(トラベルソ)は,金属製のものとし,たくさんの孔を設けて複雑な機構で操作することによって(ベーム式)フルートとして生き延びたことはご承知の通りです。但し,ブロックフルーテは別稿で述べたとおり,英国では生き延びました。今でも,イギリスでは「オレはこのブロックフルートが吹けるぜ」と登録しておくと適宜リコーダーのアンサンブルが組めるという民間(?)の制度があってうらやましい演奏環境があります。
私もドルメッチという英国の小さなメーカーの秀抜な笛(ソプラノとアルト)を持っています。その他のメーカーの笛やプラスチックの笛も含めるとテノールやバスリコーダーも所持しています。リコーダーアンサンブルでは,更にソプラニーノやグレートベースなどの笛も加わることがあります。
ブロックフルーテは,日本やドイツでは,小学生や中学生が学校で教わるリコーダーがそれに当たりますが,本式に演奏する場合は曲も演奏も比べようがありません。千葉県船橋市周辺にお住まいの方でリコーダーアンサンブルに興味ある方はどうぞこちらに。
なお,その指導者は優れた音楽家で千葉県でも合唱や笛の指導では有名な方です。私は,フルートも著名な方に何年も習いましたが,音楽をするということの中身は比べものになりませんでした。

まだ,この項はしつこく(笑)続きます。