Brahms (はじめの一歩 ^^;)のこと

ついに独逸 Lieder に来ちゃいました(笑)。

□ 弦とピアノ
ブラームスの室内楽は大好物で他には何もいらないと大学生の頃は嘯いてよく聞いていたものだ。
フォーレのそれは別の項で触れたが,「歌の時代」の前は「室内楽の時代」で,これは大学生の頃から約20年間は続いた。今だってしばしば聞いているから歌の時代と室内楽の時代は対位法の別々の旋律を歌っている(笑)ようなもの。

但し,彼の Liader は苦手であった。というより彼の書いた大量の歌(約300曲)から玉を探せなかったというのが本当のところ。
そして彼は含羞の人であったから,常々,わたしゃメロディメーカーじゃないよ。Dvorak がゴミ箱に捨てた楽譜からいくらでも曲が書けるぜと言っていたくらいの人なんですが,確かに歌という分野ではあまり名をはせているという作曲者ではない。
でも,彼の書いた室内楽の弦が奏でるメロディたるやすさまじい歌がある。
初めてこの↓曲を聴いたときなどは背筋がゾクゾクしたものである。
なお,以下の室内楽の演奏は若手が多く,私の好きだった演奏者がうまく見つからない。そのうち変更があり得ます。

Piano Quintet Op. 34 F Minor
Quartetto Italiano: Paolo Borciani, violin I
Elisa Pegreffi, violin II
Piero Farulli, viola
Franco Rossi, cello
Maurizio Pollini, piano
基準となるべき演奏である。しかし,酷い。
この youtube の音については,LP と CD の比較以前にお話にならないというしか無いが CD の時代が来て「ああ,これでレコードの溝が削られる心配なく存分に Bach や この曲が聞けるなと喜んだのもつかの間「なんだこの酷い音は」と憤ったものである。デジタルだから原音により忠実とかの前宣伝と異なり,どうみても LP の方が音が違うぞと腹を立てていたものであるが,そのうち漏れ聞こえてきたのは「これより高い,または低い周波数は人間には聞こえないはずだから切ってしまえ」という技術屋の奢りであった。此方のように聴音技師が「君,これ聞こえるのかい」としばしば驚かれていた人並み外れた(エヘン)耳の持ち主であった小学生はどうしてくれるんだろう。あんまり再生機の音にこだわらない方だが最近やっと聞くに堪える音源が出てきたかなという感じが少しするのだ。可能であれば,LP の再生環境を備えて LP 音源でこの演奏を聞いてくだされ。

その他の室内楽も以下のとおり傑作揃いである。

piano quartet no 1 in G minor, Op.25
Faure Quartet (piano quartet)
Dirk Mommertz (piano)
Erika Geldsetzer (violin)
Sascha Frombling (viola)
Konstantin Heidrich (cello)

Piano Quartet Nr. 2 A major Op. 26
Pierre Colombet, violin
Arnaud Thorette, viola
Felix Drake, cello
Nikita Mndoyants, piano

Piano Quartet No. 3 in C minor, Op. 60
Veronika Eberle(Violin)
Veronika Hagen(Viola)
Monika Leskovar(Cello)
Nelson Goerner(Piano)

String quintet no. 1 in F major, op. 88
Amadeus Q
アマデウスの演奏はさすがだ。

String Sextet Op18
Peter Wiley (Guarnetri String Quartet, Beaux Arts Trio)
この2楽章の比類のない美しさに言葉を失う。
演奏は,少々情熱が空回りしているきらいがあるがまあいいだろう(偉そうに)。

Piano Trio No. 1 in B Major, Op. 8
Isaac Stern: violin
Pablo Casals: cello
Myra Hess: piano
私は,カザルス氏の弾く Bach の無伴奏組曲は実は勘弁なんで(!),彼の演奏はあまり聞かないが,これはいいな。
若い頃に作曲して約40年後に手を加えたものであるが,彼は改版した場合初版は破棄してしまうところがあったがこの曲だけは初版も残してあったそうな。捨てられないわけがあったんでしょうね。
小生も昔は彼の他の曲ほどには聴かなかったが今聞き直すといいなという感じがする。

Lugansky . Capuçon . Kavakos
こういう重い演奏がブラムスの本来あり得べき姿だろうな。

こちら↓も

絹の手触りがしてよい。将来が楽しみな連中だ。
Alexi Kenney, violin
Oliver Herbert, cello
Roman Rabinovich, piano

Trio in A minor op.114
Martin Fröst – clarinet
Clemens Hagen – cello
Leif Ove Andsnes – piano

Viola Sonata op.120
Adrien Boissseau( Viola)
Gaspard Dehaene( Piano)
しぶいが実に美しい。

Scherzo de la sonate FAE
Maxim Vengerov(vn)
うーん,名演だ。

□ 歌とピアノ

Immer leiser wird mein Schlummer
Elly Ameling
Dalton Baldwin
但し,彼が苦手とか言っている Lieder でも傑作はある。「傑作」という形容では全然不足する名曲だ。
例えば,↑
ブラームスの中では一番好きな Lieder である。
やはりこの曲はこの人の歌が一番。
但し,録音が劣悪。是非とも CD をゲットしてください。その価値は十分保証します。

これも同じ録音かな

これも良い
Nino Surguladze (V)
GIANLUCA MARCIANO (P)
確かに巧いし(声帯に手をあてがって低音をだすなんぞは),美人なんだが,曲作りに違和感がある。
まず,オペラ歌手らしく大声を平気で張り上げるところが時々ある。
それと,この曲を時々微笑んで歌ってるのがいけんだろ。歌詞を理解しないで歌っていることがばれる。
または,歌詞↓(死病に冒された女が,嘗ての恋人が戸外に佇むのを夢に見て私の傍にきてと懇願している歌)は理解してても,きっと美人すぎてこんな境遇が想像ができなんじゃないかな。これは邪推です(笑)
piano がイタリアの有能な指揮者らしいが渋い顔をしているのが頷ける(笑)。

Saskia Bouma
サスキア・ボウマと読むのか。
ドイツ語圏のオランダ人のこの歌手の方が言葉をよくわきまえて歌っているような気がする。ソプラノのアメリンクといい,アルトのこの歌手といい,いずれもオランダ人ですよね。何らかの共通の良き土壌があるのか。
最後に少し音を外しているのが惜しまれる。但し,激賞に値する演奏です。
この歌手は室内合唱団との共演から出発して定期的に歌曲のリサイタルを行っている若手のようですからオペラ歌手なぞとは違って(笑)深い表現ができるようです。どうぞ,この道を歩んでください。

Immer leiser wird mein Schlummer,
Nur wie Schleier liegt mein Kummer
Zitternd über mir.
Oft im Traume hör ich dich
Rufen drauß vor meiner Tür,
Niemand wacht und öffnet dir,
Ich erwach und weine bitterlich.

Ja,ich werde sterben müssen,
Eine Andre wirst du küssen,
Wenn ich bleich und kalt.
Eh die Maienlüfte wehn,
Eh die Drossel singt im Wald:
Willst du mich noch einmal sehn,
Komm,o komme bald!
訳は,これが優れている。

(私訳)
私の眠りは更に浅くなり
まるでヴェールのように、悲しみだけが
揺れながら私を包み込む
時折,夢の中で私はあなたの声を聞く
あなたが私の戸口の前で呼んでいるのを
だが誰も目を覚まさずあなたを呼び入れない
そして私は目が覚め苦い涙を流す。

そうだ、私は死ぬんだ
もし私が青白く冷たくなってしまったら
貴方は他の女にくちづけをするのだ

五月の風が吹く前に
ツグミが森で歌いだす前に
あなたがもう一度私に会いたいなら
来て、来て,今すぐ来て

私が青白く…歌い出す前に  の部分意味不祥。ドイツ語の:コロンの使い方不明。

なお,müssen を「意思」(自殺する)というように訳する翻訳者がいるが違和感がある。必然の意味に訳すると(病気で)死ぬという意味になるし,死の床にある浅いまどろみの女が男の幻影を見て声にもならない声で「来て」と呼びかけるという方が情景として自然だし,ブラムスや詩人の哀れみが伝わるのではないか。

慕情が報われないまま死に臨む女が想い人の幻影をまどろみながら見て「来て」と夢の中で呼びかける情景を描いた詩がブラームスの心を強く共鳴させて激しく揺さぶったのでしょう。
普段の歌曲の作曲仕様と違って,思わず彼に渇望のたけりというべき傑作を書かせたのは将に必然でしょう。自分のクララへの想いと重ね合わせたのでしょうか。
Symphony No. 3 Poco allegretto と同質の詩が響く。

Kathleen Ferrier
Kathleen Ferrier のゾクゾクするような低い声。私は深かーいアルトが好きなんです(笑)
この演奏を聴くと大正元年生まれの彼女が未だに英国で人気の高い理由がわかりますね。
幸薄い美人が薄命を地で行ったこともあるでしょうが。

Karina Kherunts
アルトフェチがもうひとりのすごい才能の持ち主を見つけてしまいました(笑)
ロシア人のようですね。
オペラのアリアもアップされているようですが,あまり感心しない。貴女は歌曲に専念すべきです(笑)
ただ,最後の段の最高音が強すぎ。Nino と同じ悪いところがありますね。貴女はシャンデリアを声で割ることができるわと愚かなことを言う人ですか。貴女は死の床で恋しい人の幻を見ている哀れな女なのです。
冒頭に Langsam und leise と指示されているだけでしょう。歌詞も合わせ解釈すれば,フォルテかなと思っても死につつある女の血を吐く気持ちだけのフォルテですよ。そういうつもりでかすれ声で歌えば聴衆(ドイツ語圏の)を泣かせることができるはずです。ブラムスはまったくそんな風に歌えとは書いていないでしょう。歌詞だってここは「来て」と瀕死の女が哀れにも哀願しているところですよ。健康な肉食女が「来やがれ」と叫んでいるところではありません(笑)。また,アルトの私は高いFが歌えるわと図に乗ることころでもありませんね。アメリンクおばさまを見習うべきです。
ですが,今ではオペラ歌手道に邁進しているようです。残念(笑)。
なお,目立たないが piano が非常によい。何故か秀抜なピアノ奏者の名前が出てこない。ロシアだからか(笑)
この曲を聴くと Brahms 特有の深い悲しみと哀れみが伝わってくる。

    彼女がラフマニノフ↓を歌うとこうなる。
    Don’t sing to me , my beauty…
うーん,オベラ歌手の悪い癖が出るが上手い。話は変わるがラフマニノフの曲は凡庸なものと秀抜のものとの差が激しい。かっては彼が受けていた精神科の治療のせい(飲んでいた?薬のせい)でピアノ協奏曲2番が書けたとも言われた。こんな戯けた説は,これらの名曲を聴けば直ちに嘘だと分かるが確かに凡庸な曲とそうでない曲の差が激しすぎる。いやいやこんな名曲に余計な詮索は不要ですね。多分,天才にありがちな斑気のせいでしょ。

このカラオケが良いが,結構高音部がありますからね(笑)

こちらの Low voice のカラオケもかなりよい。
Piano Accompaniment

Nathalie Stutzmann
Piano: Inger Södergren
彼女のことは別稿でくさしたことがあるがこれは一カ所を除き良いできだ。
指揮者になって精進したらしい(笑)。

Von ewiger Liebe
Elly Ameling
Dalton Baldwin

49 German Folk Songs, WoO 33: “Da unten im Tale”
民謡のごとく優しく歌われている悲しい別離の詩
Elly Ameling
Dalton Baldwin
忘れていたというよりアメリンクのCDからこれが探せなかった。
ブラームスの歌で最初にすーっと心に染み入った曲。
アメリンクおばさんは,なんの自覚もなく民謡調に歌うとだらりとした曲に堕するところをアクセントのかけ方で聞いている者がなにげに一緒に歌ってしまいそうになるという演奏をする。
ブラムスのリードを聞き続けていると分かったことがある。どうも歌には童謡的なものを求めていたと思われる。だから Immer leiser みたいな曲は例外に当たるのでしょうね。なぜだろう。複雑な心境はよく分かりませんね。面倒な奴(笑)。時間と場所を超越して彼の所に赴いてもう少し後世のファンにサービスをしろと腐し,否,懇願に行きたいくらい。

サイトを漁るだけでも以下のとおりこんなにも歌の名曲がある。「Dvorak がゴミ箱」どころの話ではない。

☆ Feldeinsamkeit
Elly Ameling
Rudolf Jansen

☆ Alte Liebe
Kristina Naude

☆ O kuhler Wald
Anne Sofie von Otter

Liebestreu
☆ Muss es eine Trennung geben?
Dietrich Fischer-Dieskau

☆ Dдmmerung senkte sich von oben
Stefanie Iranyi

☆ Es hing der Reif
Andreas Lucewicz
Robert Morvai

☆ Die Mainacht
Elīna Garanča
Malcolm Martineau

☆ Wie Melodien
皆が知っている言わずもがなの名曲

☆ 4 Serious Songs, Op. 121
by Dietrich Fischer-Dieskau

Die Meere
Steinunn Soffía Skjenstad(Sorpanistin)
Judith Thielsen(Mezzosopranistin)
Mariana Popova(Pianistin)
よい出来だ。

□ ピアノ

Intermezzo Op.117-1
G. Gould(p)
作曲者が「私の苦悩の子守歌」と呼んでいたもの。
最初聞いたときに,長調なのになんて哀しい曲だと思ったものだ。
但し,この曲がブラームスが想定どおりの演奏ができるピアニストは少ない。
なお,これもちゃんとした音源で聞いて欲しい。
前半の長調部分は,ふと昔を思い出した音楽家のあきらめと諦念の気持ちが,中盤の短調部分は昔を思い出してすこしセンチになり昔の激情の片鱗が窺われるが,ため息とともに諦念の今に至る最終楽章へと,なるほどブラムスが自分の子守歌だと歌っているのがよく分かる。文字通り一音とも疎かに弾けない曲である。

クロアチアののだめ↓では少し若すぎて難しかろう(笑)但し,その気概は買ってやろう。
Virna Kljaković

Variations on a Theme of Robert Schumann, Op. 9
変奏曲というのは大抵退屈な物が多いが例外もあるということの典型だろう。
作曲者のシューマンに対する複雑な思いがあちこちで顔を覗かせるような地味だが大変美しい曲だ。

8 Klavierstücke op. 76
by Dmitri Alexeev
迂闊であった。彼がこんなピアノ曲を書いていたとは知らなかった。いやいや,ブラムスオタクの CD ラック庫を探せば絶対あるに違いない(笑)。Charles Owen の CD をゲットして聞いているうちに思い出した。ずいぶん昔,渋すぎてと思って「聞かないCDラック」に入れたような(笑)。今回,Charles Owen の演奏を聞いて後期ピアノ曲の傑作だなと思った。CD だと和音が綺麗に聞こえるし。
しかして,この頃になると和音も複雑に分厚くなっている。ビオラを愛好していた人に相応しい曲だ。

Lilya Zilberstein (2008)
Lilya Zilberstein (2008)のゆったりしたテンポの曲もありだ。

Jerome Rose
こちらのヤマハのピアノを使った演奏も良い。
でも聞いているとブラムスが思い描いていた鍵盤楽器はピアノでは能力不足だったような気がする。分厚い和音を濁らずに鳴らせるような楽器は少なくともピアノではないな。

Herzlich tut mich verlangen, op. 122 no. 10
原曲はオルガンの曲だ。人の死を悼む曲だからオルガンにしたのか。但し,聴くべきオルガン演奏が見当たらない。
古めかしいコラール形式になっているのも宗教に親和性のあった彼らしい曲だ。
ブゾーニの編曲のピアノ曲がよくできている。こちらの方がひとつひとつの音が聞こえるから好ましい。
凄まじい曲を残したものだ。Bach の Ich ruf zu dir Herr Jesu Christ BWV 639 に優に並ぶ曲だ。多分に人に聞かせるための曲ではない。それ故にオルガン曲にしたのではないか。
Igor Levit  がコロナの最中に凄い演奏を残したが youtube には一部しか up されていない。いや,あるにはあるが up 時に酷く音量と音質を落としている。

このコラール全集の全体の雰囲気は最も深い悲しみのそれであり,死に向かって準備をし,それを望みさえしているとある学者(ガイリンガー)は述べている。
ふむ,でも後者より前者の方がより強い想いのように思える。後者は自らの死は想い人に近づける道だという気持ちの表れか。うむ,ブラムスの死や宗教に対する感覚が良く分からん。彼が聖書を愛読していたことは有名だが,教育はかなり進歩的で自由な学校に学んだようだ。すると死後の世界を無条件で信じていたとは言い切れないだろう。クララに死後の世界で会えるなら何でも信じたいというところか。

暗い?それは暗いさ。クララを亡くした年であり,自身の癌が発見された年だもの。
魂の奥底から湧き上がる想いを糧に執着していたクララを無限の彼方に見失い,自身の命も短いと予感した時はどんな気持ちでいたのだろう。
「私が本当に一番大切な人が今日葬られてしまったのだ。この世はすべてが空しい。」と述べたという言葉すらも空しいか。
彼の気持ちはよく分かるぞ。この曲を聞きたまえ。
明るさもほのかに暗闇に垣間見えるがこれは宗教的な救いを期待しているのか。違うな。生きていた人の姿と想いが断片的に幻のごとく脳裏に浮かんだのだろうか。
右手が作っているアルペジオが将に天才の筆であり凄すぎる。
そしてこの死者を悼む左手のコラールも彼の手による。
晩年の濁る和音でできているピアノ曲より明晰でいて暗い。
通奏低音の八分音符を棺を運ぶ足音のように刻みわずかに音程を変化させていくところも非常に応えるところである。

人生の最後に絶望と寂しさにまみれた曲を書いて世を去っていった。
神がもしいるならこの魂にどうぞ安らぎを。

続けては聞けないと思いながら延々とリピートを掛けて聴いている。

□ 弦とピアノと歌と
Zwei Gesänge for Voice, Viola and Piano, Op. 91
Jessye Norman
Daniel Barenboim (piano)
Wolfram Christ (viola)
ピアノとビオラにアルトの組み合わせは,ブラームスが考え出したのではないかと思わせるほどこの曲は美しい。そして,ノーマンの演奏が他を圧倒する。是非,CD などまともな音源で聞いてください。

□ 交響曲
Symphony No. 3 Poco allegretto
Leonard Bernstein, Wiener Philharmoniker
わたしゃ,あまりフルコンの曲は好きでないが,バーンスタインのこれは載せる他はない。外せるわけがない。絶対にだ(笑)
寂しい彼の心が溢れているな。よく分かる。

このストリング編曲もよいな。これもブラムス愛だ(笑)。演奏者のうちセロには少し音を外す者(第2奏者だろ)がいて興ざめなところもあるが。
arranger Sreten Krstić

この曲の秀抜なピアノアレンジを見つけた。
Arr. Luke Faulkner
ちょいと錬れていない部分もあるが。これもブラムス愛ですね(笑)。というよりブラムスはこういうふうにあの曲をピアノを弾きながら作ったんだという気になれる程よいできだ。
楽譜は5ドルらしい。そこのブラムスおたくの貴方どうです。ピアノが弾ける奥方や彼女への贈物にしたらば(笑)。

□ 編曲者である Luke Faulkner について一言
  項を分けました。

書きかけ(続く)