戦前の婚外子の戸籍上の扱い
1 父(兼戸主)が自分の子であるとの届け出をすれば,父の戸籍に入る。
旧戸籍法83条によれば,父が庶子出生の届け出をすれば,認知届出の効力を有するとある。なお,この場合は婚外子は母の戸籍には一瞬とも入らないし,一旦婚外子の籍が創設されるわけでもない。
なお,「庶子の届出」という記載は戸籍簿にはない。「どこそこの戸主(氏名)の(続柄例:妹)母(氏名)が,どこそこで子を出生,父(実父兼戸主)が届出,いついつ受付入籍」と実父の戸籍に記載され,続柄欄に母(妾という形容もない)の名前と男女の別が書かれているが二男,三男のごとき続柄は記載されてない(下記に例示)ことから庶子の届出であることが分かる。
例示
千葉県船橋市中央区中央四丁目壱番地壱 戸主船橋信二妹花子 千葉県佐倉市弥勒町壱番地ニ於イテ子出生 父千葉太郎届出昭和壱参年六月弐拾日受附入籍
 父 千葉太郎
            男
 母 船橋花子
子           治郎
 出生 昭和壱参年六月壱七日

2 父(兼戸主)が自分の子であるとの届け出をしない場合は次のいずれかの扱いになる。
母の入籍していた戸主が認めれば,その戸主の籍に入る。
同戸主が認めなければ,「私生児」の籍が創設される。
以下,明治民法735条を参照
第735条 家族の庶子及ひ私生子は戸主の同意あるに非されは其家に入ることを得す
庶子か父の家に入ることを得さるときは母の家に入る
私生子か母の家に入ることを得さるときは一家を創立す

なお、第2項及び第3項は昭和17年(1942年)、以下のとおり改正されている。
嫡出ニアラサル子カ父ノ家ニ入ルコトヲ得サルトキハ母ノ家ニ入ル。母ノ家ニ入ルコトヲ得サルトキハ一家ヲ創立ス。

庶子(妾の子)と私生児の区別すらある(明治民法735条,旧戸籍法69条)とは驚きである。どういう基準で区別が可能であったのかは不明である。新律綱領(明治3年編纂刑法典)までは妾の登録はあったそうな。但し,旧刑法施行後,ほどなく「妾の登録制」も廃止されたらしい。そうすると戸籍に庶子の届出がされた場合の母の立場が妾になるんだろうか。但し,以上の新律綱領の説明は孫引きです(笑)。
まあ,「私生児」の形容は太平洋戦争中,「私生児」のまま出征させるわけにはいけないという徴兵制の維持という国のご都合から「私生児」の記載はなくなったようではある。本当か(笑)

3 以上の通りであるから,前1項のごとく実父が庶子出生の届出をした場合は母の戸籍をたどってもその婚外子は見つからない。

立法者は何を考えていたのか。
女には相続権はないから問題にならないと考えていたのか。でも,女が相続するる例外的場合もあったし。女が私生児を産んだという記録を極力残すまいとしたのか。
ホモサピエンスがネンデールタール人の社会を理解するほどではないかもしれないが(笑),戦前の社会は今の日本人にとって気が遠くなるような時代になったのか。

4 現行の日本民法,戸籍法の取り扱いは以下の通りである。
婚外子は生まれたらまず母親の戸籍に入る。
もし母親自身が親(婚外子から見て祖父または祖母)の戸籍に入っている場合、分籍して新たに母親を筆頭者とした戸籍に母子で入ることになる。
現行戸籍法によれば,戸籍の組立てが「夫婦とその子供毎に編綴する」ということになっているからである。
そうすると戸籍というものの役目がなんなんだろうという感じにならないか。
実体的にも少なくとも子供の福祉と言う点では,婚外子にとっては隙がある。

戸籍を純粋に人の特定だけの目的で制度設計すると
1)子供が生まれる毎に独立の戸籍を作り,婚姻はそれに付記するにとどめる。
2)子の父母の欄には,その氏名と,本籍地を記載することだけで十分ではないか。
ということになる。

但し,そう考えると戸籍という命名のものが「戸(=家)籍」という名を付ける意味がないものになる。
以上戸籍という制度だけの観点で考えてみたが,未来人からすると現行の日本民法も時代錯誤的なものに見える(例:待婚期間を設ける。認知という制度がある。等々)かもしれない。
ひょとすると現行の夫婦制度自体も未開な制度とみられるかもしれない。